いいでしょう! 70年前の一ノ島灯台の写真

いいでしょう! 70年前の一ノ島灯台の写真

行きつけの理容店に飾ってある灯台の写真が前から気にかかっていた。波と必死に戦っている一ノ島灯台の写真だ。ヒノデ理容店(市内浜町)のご主人木幡正一さんに聞くと、待合室に飾ってある写真は、先代の武さんが二眼レフで撮ったもので、私同様この写真に興味を持った愛好家がオリジナルをレタッチしたものだという。1月下旬だったか、私は思い切ってご主人に「この写真を複写させていただけないか」と切り出してみた。ご主人は「もっといいのがありますよ」と奥さんに指示し、主屋からアルミサッシ製の頑丈な額に入ったセピア色のオリジナル写真(全紙)を出してきてくれた。おまけに「どうぞ持っていってください。多くの人に見ていただけたら故人も喜ぶでしょう。」と太っ腹。それがこの写真。昭和23年(1848)9月、銚子や房総半島で大きな被害があったアイオン台風直後に撮ったものだそうだ。余談ながら、犬吠ひろしは昭和23年6月生まれだから、生後3ヶ月ばかりの時期だったわけ。

当時の一ノ島灯台は、川口町地先の千人塚から海に直角に突き出た防波堤の先端に設置されており、子どもの頃よく遊びに行ったものだ。海の難所で知られた川口付近には大小の岩島や砂浜もあって、荒天の後などは終戦直後銚子沖で処理された旧日本軍の火薬や薬莢などが漂着し、それらを拾って遊んだことを思い出す。また、堤防の上では釣をする人も多く、波しぶきがかかる中をおもしろがって行き来したものだ。
 時が移り、昭和40年代半ばになると、銚子漁港の大規模整備が始まった。漁船が安全に出入港できる航路を造るため一ノ島灯台に至る防波堤は陸地から切り離され、一般の人は以前のように灯台まで歩いて行くことができなくなった。砕け散る大波と一ノ島灯台をモチーフとしたカラーの写真を最近でも時々見かけるが、航路を隔てた陸側からのアングルではどうしても電柱や電線が入ってしまうようだ。

 それにつけても、銚子や房総半島に大きな被害をもたらしたアイオン台風通過直後、波風治まらず、足下も危うい防波堤を撮影者は灯台にどのくらいにじり寄って撮ったのだろうか。望遠レンズもなく、上からファインダーを覗き込む二眼レフでこの写真を撮ったヒノデの先代の勇気と写真撮影の腕前に心から敬意を表したい。そして何よりも写真そのものが美しいと思う。

銚子港一ノ島灯台の概要
昭和9年9月点灯 
位  置:北緯35度44分42秒、東経140度51分31秒
塗色構造:白色円形コンクリート造、高さ平均水面より燈火まで17m
灯  器:第5等アセチレンガス灯器
灯  質:閃白光 毎4秒に1閃
光達距離:13.0海里
昭和31年6月 5等フレネルレンズ 100V300Wに変更 SC点滅器
平成27年11月 光源の電球からLEDへの変換にともない以下のように変更
灯  質:等明暗白光 明3秒暗3秒
光達距離:13.0海里から5.5海里へ
光  度:14000カンデラから110カンデラへ

※ 水路誌(267銚子港)に銚子港への入港について以下のような注意点の記載がある。「河口付近は外海からの波浪及び下げ潮流のため操船が困難なことがあり、一ノ島灯台に打ち上げる波浪が灯台の高さの1/3に達するときは、入港を取りやめ外川漁港に避泊したほうがよいという」

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