渋沢栄一、犬吠崎に遊ぶ

渋沢栄一、犬吠崎に遊ぶ

 いま、幕末・明治・大正期に経済界をはじめ幅広い分野で活躍し、近代日本資本主義の父と呼ばれる実業家渋沢栄一(1840-1931)が注目されています。 渋沢が今年のNHK大河ドラマ「晴天を衝け」の主人公であることや、令和6年に発行される新1万円札に肖像が印刷されることは皆さん既にご存じと思います。渋沢の生涯はまさしく波瀾万丈、株式会社第一国立銀行や東京商法会議所をはじめ一口に5000に及ぶ民間会社を設立したといわれ、経済界での功績はもとより公益事業、大学の創設や援助、国際交流にも大いに力を尽くしました。

 渋沢は日本経済の振興・発展のために全国各地を飛び回っていましたので、渋沢「ゆかりの地」が結構あります。   実は私たちのまち銚子でも渋沢の足跡を辿ることができます。

    渋沢の日記によりますと、明治36年8月の6日間を犬吠崎の暁鶏館に5泊、連日早朝の海水浴を楽しみ、犬吠埼灯台や犬若方面の奇岩見物に出かけています。忙中に閑をつくって骨休めというところでしょうか。渋沢が宿泊した暁鶏館は犬吠埼灯台を望む酉明け浦に現在もホテルとして営業中ですが、当時の広告を見ると海水浴旅館を謳っており、病がちな渋沢が誰に聞いたか健康にいいという塩水に浸かるために銚子の犬吠埼に避暑にやって来たと思われます。(以下は『渋沢栄一日記』(渋沢子爵家所蔵)から抜萃し現代語訳したものです。)

○  8月18日 晴 (明治36,1903)
 12時、兜町に帰り旅行の支度をする。午後2時、本所錦糸掘の停車場から総武鉄道会社線に乗り出発する。車内の暑さや埃ぽさは耐えがたいほどだったが、夕方になると風が強くなり、やや涼しさも感じられるようになった。連日の炎暑によって沿道の草木はおしなべてしなだれているように見えたが、田畝の方は稲の色が青々として既に実を付けているものも少なくない。本年は豊作になるであろう。午後4時半銚子停車場に着く。この日、本所停車場から松本信之助氏が私たちの案内役として同行され、沿線各地の景況を詳しく説明してくれたので車中で退屈することはなかった。
 銚子停車場から人力車を雇って犬吠岬にある暁鶏館に向かう。銚子から1里半(約6km)の距離だったが、山路は急でとても険悪だった。7時に暁鶏館に無事到着、借りた部屋は狭隘だったが一同ひとまず膝を崩すことができた。

○ 8月19日 晴  

 午前6時に起きて海に入る。朝の空気は清々しく爽やかで、しかも赤い太陽が波間に映る眺めは非常に壮快だ。 夜に入って、直ぐ隣にある伏見宮様の別邸で銚子の田舎踊りが催され、村内の婦女子が多数集まっていた。午後8時頃から大きな雷が鳴り、にわか雨がどっと降り出してきた。

○ 8月20日 晴  

 午前6時起床、直ちに海水に浴す。九時犬若の巌を一通り見てみたいと思い一行で出発する。距離はおよそ10丁(約1.1km)余り、徒歩で行く。松林の間をぬけて戸川村(外川)に入り村内を通過して海岸に出る。千貫巌(千騎ヶ岩)・犬巌・若巌などが連なっていて、見晴らしの美しさはこの上ない。丘の上の茶店で少し休んでから帰途に就いた。

○ 8月21日 晴  

 午前6時起床、直ちに海水に浴す。朝食後9時頃犬吠岬の灯台に行く。帰り道がてら海岸を散歩する。野田男爵に思いがけず出会い、明日同氏邸での招宴にお誘いを請ける。夕食後読書。夜海岸を散歩する。この日秋涼を感じる。

○ 8月22日 晴

  午前6時起床、海水に浴す。2時野田男爵の別荘を訪問する。夜に入って暁鶏館に戻る。

○ 8月23日 晴

  午前6時起床、この日は海水に浴せず。11時半暁鶏館で昼食をとり、直ちに人力車を手配して銚子停車場へ向う。午後1時発車、午後5時半本所着。

[引用資料]

 公益財団法人 渋沢栄一記念財団公開デジタルデータ デジタル版『渋沢栄一伝記資料』 第29巻 P501-502 DK290170K-0001 (2020.11.27閲覧) https://eiichi.shibusawa.or.jp/denkishiryo-admin/digital/main/index.php?about#how2use)

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