おめでとうだい ! 犬吠埼灯台が国の重要文化財に

 おめでとうだい ! 犬吠埼灯台が国の重要文化財に

 少々時間が経ちましたが、2020年12月23日、国内で初めて現役の灯台が国の重要文化財(建造物)に指定されました。

①六連島(むつれしま)灯台1871(明治4)年竣工、石造、下関市所在
②部埼(へさき)灯台 1872(明治5)年竣工、石造、北九州市門司区所在
③犬吠埼(いぬぼうさき)灯台 1874(明治7)年竣工、レンガ造、銚子市所在
④角島(つのしま)灯台 1875(明治8)年竣工、石造、下関市所在の4基で、いずれも日本政府お雇いの土木技師R.H.ブラントンの指導の下に建設されたものです。

〇重要文化財犬吠埼灯台

 文化庁は、犬吠埼灯台の指定理由を「北太平洋航路のために建てられた最初の灯台であるばかりでなく、第一等レンズを備える現役の灯台の中では我が国最古の灯台であり、近代海上交通史上価値が高い。また地震の多い我が国において成の高い煉瓦構造を支えるために二重壁構造や帯鉄を挿入するなど当時先進的な技術を取り入れている。旧霧笛舎は、現存する戦前の霧笛舎の遺構として唯一であり、また明治期における鉄造の建築としても貴重である。」と説明しています。
 
 〇重要文化財犬吠埼灯台
 ▼指定物件及び員数
  灯台一基
  ・附(つけたし)旧レンズ一点、銘板一枚
  旧霧笛舎一棟
  旧倉庫一棟
  ・附 囲障一ヶ所、旧日時計一基
 ▼所有者
  国(海上保安庁)
  公益社団法人 燈光会(旧レンズ)
 ▼所在地
   千葉県銚子市犬吠埼九五七六番地

重要文化財(じゅうようぶんかざい)とは、日本に所在する建造物、美術工芸品、考古資料、歴史資料等の有形文化財のうち、歴史上・芸術上の価値の高いもの、または学術的に価値の高いものとして文化財保護法に基づき日本国政府(文部科学大臣)が指定した文化財を指す。

〇近代海上交通史上、価値が高い

 犬吠埼灯台は、関東平野の最東端銚子半島から太平洋に突き出た崖の上に立つ航路標識(光波標識)です。船舶がその外観や灯光により陸地、主要変針点または船の位置を確認する時の目標となる大型の「沿岸灯台」に類別されます。

 半島の三方を海と川に囲まれた銚子は、江戸時代には東北地方から江戸へ運ぶ廻米船の積みかえ港や海路江戸に直行(大廻し)する船の風待ちの港として大いに賑わいました。また、銚子の川口は日本の海の三大難所ともいわれ、海難事故の多発する場所でしたが、近代に入ってからは灯台はじめ航路標識網の整備が進み、犬吠埼沖は、東北・北海道と首都圏及び西日本を結ぶ国内航路や北太平洋航路上の変針点として内外の多様な船舶が輻輳する交通の要所になっています。

「明治維新は地球の急速な縮小化・初期的グローバリゼーションの中で起こった社会革命」だという見方があります。この時期に蒸気船による定期航路の開設や海底ケーブルの敷設による電信網の急速な拡大により、人や国が地球的規模でつながったのです。
 一方に、七つの海を越え数世紀前からインド・シンガポール・香港・上海・長崎へと東進を続けるイギリスがあり、もう一方にはペリー艦隊の来航以来、自国内の西海岸でのゴールドラッシュや大陸横断鉄道の開通、さらには南北戦争を終結し、いよいよ中国貿易の中継港や太平洋での捕鯨船の補給基地を求め、太平洋に乗り出し、西進しようと意気込むアメリカがありました。両国が鉢合わせする残されたフロンティア日本、まさに「横浜への道、太平洋航路をめぐるアメリカとイギリスの競合」を経て、丸い地球をグルリ一周する北太平洋航路が成立したのです。
 こうしてみると、幕末期にイギリスが主導した西欧諸国と日本との灯台設置交渉に際して、なぜアメリカだけが犬吠埼灯台の設置を追加要望し、そして、なぜそれが一時保留になったかがわかるような気がします。
 そういえば、明治5年着工、7年11月に初点灯した犬吠埼灯台は、北太平洋航路の変針点にあり、同航路とくに北から日本に接近する船舶にとって、少なくとも当時は陸地を最初に視認することができる沿岸灯台でした。地球を一周する航路の完成に犬吠埼灯台も一役買ったに違いありません。これが近代海運史上の価値が高いと評価される由縁ではないでしょうか。
 このように世界の海上交通史を通して犬吠埼灯台の成り立ちを見てみると灯台の魅力にますます心臓がバクバクしてくるから不思議です。

※ 写真は、『広報銚子』2020年11月1日号、銚子市発行
 

About the Author

Comments are closed.