霧笛舎
廃止前後の霧笛舎 保存か解体か、ラッパだけの部分展示か、事態は大いに揺れ動いた。


大正末期の霧笛舎
大正末期の霧笛舎 ラッパの直径や位置、建物下部の腰壁、ひさしの有無、排気煙突、屋外水槽の有無、日時計の位置等々現在と相違点がみられる。


※犬吠埼霧信号所(略称霧笛)廃止をめぐる前後の経緯と活用・保存活動を説明するため、少し硬めですが以下に「犬吠埼灯台の霧笛-百年の吹鳴、ここに極まる」(仲田博史、銚子ロータリークラブ会報、2008年2月)の全文を転載しました。



■美しい光芒を放つ花形灯台の陰に名脇役


平成20年3月末、犬吠埼の霧信号所(霧笛)が廃止されました。この霧信号所の運用が始まったのは、明治43年4月1日、灯台が完成してから36年後のことでした。廃止の主な理由は、DGPS等新技術の定着により音を発して位置を知らせる航路標識としての霧笛がその役割をほぼ終えたからだということです。ちなみに犬吠埼霧信号所の音が届く距離(音達距離)は最大約9kmとされているのに対し、灯台の光(光達距離)は36km、DGPSに至っては半径200kmをカバーしています。もちろん、これら異なるタイプの航路標識は互いに補い合う関係でもあるのですが、霧笛には方位を定めにくいという欠点があることが早くから知られていました。それでもなお犬吠埼の霧笛は、幾度もの震災や戦災をものともせず、「視程1.8km以下になったら30秒を隔て5秒吹鳴」の原則を律儀に守り、五里霧中の海を航行する船舶の常に頼もしい道しるべであったのです。

また、新設間もない明治44年5月20日には、皇太子様(後の大正天皇)が犬吠埼灯台に行啓されました。

「殿下ニハ最モ御勇壯ニ燈室迄御昇リアラセラレ直チニ火ヲ點シ之ヲ回轉シ御覧ニ供シタリ右霧警號、見張所、燈臺ト順次御案内ノ際ハ一般事務、看守勤務状態並船舶通報事務等ニ就テハ所長ヨリ霧警號機關並ニ燈器ニ關スル技術上ノコトハ石川技師ヨリ夫々御説明申上ケ同二時御還啓仰出サル又霧警號ハ餘リニ強聲ナルカ爲メ御還啓ノ御途次御聽ニ入ルヽ事ニ計ラヒ御出門ノ際二聲吹鳴御聽ニ入レ奉レリ」、『航路標識管理所第五年報』を読みますと、灯台局を挙げての対応振りや細心の注意を払いながら最新鋭の霧笛を鳴らして皇太子をお見送りしたことなど、今でもこの「名誉の日」の緊張感がひしひしと伝わってきます。

皇太子嘉仁殿絵はがき
皇太子嘉仁殿絵はがき
皇太子嘉仁殿絵はがき

明治44年皇太子嘉仁殿下ご来台時に関係者に配られた絵葉書(3枚組)


さらにまた、エア・サイレン式のゆったりと野太い霧笛の音は、海で働く人々ばかりでなく陸に住む多くの銚子市民にも「牛が鳴いている」と親しまれてきました。その霧笛が廃止されるというのですから反響は少なからずありました。そして平成19年11月26日、この問題について地元銚子としてはどのように対応したらよいか関係諸団体間で意見交換をするため「犬吠埼霧信号所の廃止に伴う打合せ会議」が開かれました。私たち犬吠埼ブラントン会もこの会議に出席して以下の7項目を提案させていただきました。以下に提案時のまま掲載いたします。



■霧笛の保存・活用に関する提案7項目

-重層的・多面的なアプローチで


1.理想は:国の文化財として現状のまま保存

当然のことながら国(文化庁)がその価値を認めるかが最大の関門。また、銚子市や千葉県の文化財指定が先だという考えもあるでしょう。申請者にどこがなるか、例えば銚子市(教育委員会)が手を挙げてくれるのか。将来修繕費は国から出るにしても、人件費をどうするか等々の課題もあります。灯台本体の動態保存を含め関係施設が国の文化財指定になった事例は現在のところありません。

2.良縁あれば:移設保存も(銚子市内・市外)

解体作業中にバラバラに分解してしまう可能性が大であり、7つのうち一番難しい選択肢かと思われます。移設先が市内ならば土地を見つけ、移設工事費や以後の維持管理費捻出・人員確保が必要になります。移設先を例えば、愛知県「博物館明治村」等の市外に想定した場合、先ず先方が受け入れてくれるかどうか、また、解体費用や輸送費の負担はどうするか、とくにこの方法では地元に波及効果がない等々の問題が残ります。

3.解体後:一部を資料展示室内に展示

解体がやむを得なければこの方法もあるでしょう。ただ、スクラップを展示しても魅力がないと思われますので、4や5の素材を活用し、ラッパや吹鳴器や旧タイマーのような実物、霧笛舎の外観や機械のレイアウトがよくわかる模型、説明パネル、見学者が霧笛の音を聞くことのできる仕掛け等々を組み合わせ、できる限り立体的な展示をすることが望ましいと思います。

4.欠かせない:専門家による学術調査及び記録

先年当会が主催した「犬吠埼灯台130年記念シンポジウム」で基調講演をしていただいた建築史の第一人者東京工業大学大学院藤岡洋保教授は、犬吠埼霧信号所の蒲鉾形全金属製建物は文化財として保存すべき価値があると説かれました。近年各地で灯台附属の旧吏員退息所の移設や復元工事の前には必ず学術調査を実施しており、上記1~3のどれを選択するにせよ、鉄板の成分分析や外板のリベット止め工法等々を含め建物の学術調査は後世のために実施しておかなければならない必須の作業であると考えます。

5.専門家による霧笛の録音

仮に保存が決まって建物は残せたとしても、航路標識としての機能を廃止するのですから4月以降はこれまでのように音を出すことはできません。よって、霧笛の原音をプロの機材と技術で正確かつ親しみやい形で残すことが肝要かと思われます。上記1~3のどれを選択するにせよ、4と同様必須の作業であると考えます。

6.感謝と活用:閉所時にイベント開催

英国に「ロスト・サウンド」というタイトルの消えゆく霧笛をテーマにした本があります。銚子市民が永年慣れ親しんできた霧笛とのお別れには、仮に「ラスト・サイレン」と銘打ち構内で「感謝」と「新活用」のイベントを開催してはどうでしょう。折しもこの時期は千葉県観光協会の「早春千葉めぐり」キャンペーン中でもあり、昨年のJR・ディスティネーション・キャンペーンの実績からして相当な観光客増が見込まれます。メデイアの協力を得て対外的にPRすれば、銚子を訪れる観光客に楽しみのひとつも増やすことになるでしょう。

7.お楽しみに:記念グッズの開発


犬吠埼灯台の霧笛~失われたサウンド~
霧笛の音をCD化して残す。販売益の一部を学術調査の種銭として寄附する


5の霧笛の録音を中心に、犬吠近辺の波の音等環境音を収録したCDの制作も考えられます。絵葉書と組み合わせたり、銚子電鉄や銚子漁港のセリの声、威勢のいい夏祭りの御輿のかけ声や豊富なレパートリーを持つお囃子等々「銚子の音」を盛り込んだものにするのもよいかもしれません。 間もなく日本の海から灯台の霧笛は姿を消すでしょう。そもそもあの岬の突端に建つ鉄の霧笛舎が100年も保ったのはなぜか、と思いを巡らす時、私はそこに心魂を傾け可愛がってなお手に余ったという機械達を相手に総掛かりで格闘してきた人々の人知れないドラマがあったことに気づかされ、心を動かされるのです。



■エア・サイレン式の霧笛機械装置(明治~昭和前期)


霧笛舎の室内絵はがき スタンプ付

霧笛舎の室内 スタンプ付

ボールト屋根と細いアングルで支えられたオール鋼製の構造がよくわかります。
奥に見えるのは、コンプレッサーや貯気タンク、発音体からの音を屋外に導くラッパの筒など。


霧笛舎の室内絵はがき

霧笛舎の室内

手前は吸入ガス発動機のガス発生装置。次の工程でコンプレッサーによって圧縮された空気を大きなタンクに貯め、
発音装置(サイレン)に送る。一般に、エア・サイレン式は故障や事故が多く、人の手を煩わせたと言われています。


霧笛舎の室内絵はがき

霧笛舎の室内

長いベルトを調整する職員T氏。動力系は二系統あり、吸入ガス発動機、焼き玉エンジン、ディーゼルエンジン、電動機と時代によって組み合わせて使用されました。