見どころ、聴きどころ(DeepでTrivialな灯台案内)
丸屋空撮撮影
犬吠埼灯台の構内には、灯台資料の展示スペースが3ヶ所あります。
一番の古株は灯塔の正面右側の半円形付属舎で、次が2002年に新築オープンした灯台資料展示室です。2013年、開館以来センターを独り占めしてきた犬吠埼灯台初代レンズが保存改修工事の終わった旧霧笛舎に移転され、ダイナミックに回転する旧沖ノ島灯台国産初の一等レンズが資料展示室の新しいセンターとなって、これまた人気です。
3番目の旧霧笛舎には、日本最後のエア・サイレン式霧笛機械がそっくりそのまま残っています。そこに日本一の経歴を持つ初代レンズが引っ越してきてデンと構えているのですから迫力満点です。
「レンズは灯台の瞳で~す」で目下売り出し中の“灯台女子”さんでなくても、「犬吠埼のフレネル様、ステキ」と一目惚れすること間違いなし。
以下、3ヶ所に展示されている主なものをご紹介いたします。
■犬吠埼灯台資料展示室
旧沖の島灯台国産一等レンズ
このレンズは福岡県宗像市の沖ノ島灯台で大正11年(1922)から平成19年(2007)まで約85年間使用されていたものです。レンズの高さ2.53m、直径3.03m、レンズの重量2.65トン、装置全体の高さ5.15m、総重量13トンです。
回転装置と一体となった一等レンズの全容を見ることができるのは犬吠埼の展示館のみです。
沖ノ島灯台では、大きい方のレンズに赤色のフィルターが付けられ、25秒を隔てて10秒間に2閃白光、さらに25秒を隔てて1閃紅光を発していました。
旧東京灯標の三等レンズ
このレンズは東京港の入り口に昭和44年(1969)に設置された東京灯標に使用されていた三等レンズで、平成22年(2010)年に廃止されるまで約40年間、東京港を利用する船舶の安全に寄与していました。
レンガ石
犬吠埼灯台はレンガ造(二重壁構造)の高塔を有する日本でも数少ない灯台です。よい粘土を求めて試作を繰り返し、最終的に旧高岡村源田河岸で19万3千枚焼かれた国産レンガを使用しました。
ただし、エントランス突き当たりに数個展示されているレンガ石は、
製造時期は灯塔と同じですが、旧第一吏員退息所の土台(地中部)に使われたレンガのようです。
各種パネル展示
壁面に掲示されたパネル。ブラントンや中澤孝政の業績、灯台一般の歴史、航路標識の種類や働き等々を説明しています。
犬吠埼灯台の精密模型
スケール1/100、点滅、スケール資料展示室の開館時に製作された定番の展示アイテム機関誌『燈光』の寄贈書棚
海上保安庁灯台部の元職員T氏から寄贈された燈光会の機関誌。大正4年創刊の『燈光』は毎号灯台の実務情報満載。
『灯台経歴簿』(犬吠埼灯台に勤務した職員を記録したページが展開)
各灯台の沿革、人事、視察、改修工事等々を記録した文書。ここでは、犬吠埼灯台に勤務した職員を記録したページを開いて展示。
漫画家萩尾望都先生の作品「霧笛」の複製原画3枚
140周年記念講演会で来銚した萩尾望都先生が霧笛舎の登録有形文化財登録をお祝いしてサインして下さったもの。(犬吠埼ブラントン会寄贈)
郷土の版画家金子周次の作品「灯台と霧笛のラッパ」
銚子の風景を描いた作品を多く残した金子の代表的作品。濃霧に霞むモノトーンの灯台とラッパの表現は迫力満点。
■旧犬吠埼霧信号所霧笛舎(登録有形文化財)
犬吠埼灯台初代フレネルレンズ
1872年フランスのソーター・レモニエ社製第一等全光反射式8面閃光レンズ。1874年横浜に行幸された明治天皇が試験中の同レンズを視察(夜間の燈光も)。
同年11月15日初点灯、太平洋戦争時に一部破損、
1951年現在の国産第一等4面閃光レンズに交換後しばらくは倉庫の片隅に眠っていましたが、
博物館明治村開村時に貸与され展示、2002年犬吠埼灯台資料展示室開館時に里帰りを果たしました。
旧屋久島灯台第一等レンズ
上帯(プリズム18本)・中帯のフレネルレンズ1枚・下帯(プリズム8本)から構成されるパネル8面のうちの1面で1879年製。
旧犬吠埼霧信号所機械設備一式(立ち入り不可)
発動機(ディーゼルおよびモーター)、コンプレッサー・大型貯気タンク・吹鳴器・ラッパが建物の半分強を占めて廃止時のままの状態で保存されています。
霧笛舎の建物は、官営八幡製鉄所製の初期の鋼板を使用したものと廃止後の学術調査で報告されています。
天井には太平洋戦争で米軍機に攻撃された痕跡(フチがめくれた穴)も残っています。
旧犬吠埼霧信号所霧笛音響装置
ボタンを押すと廃止前の野太い霧笛の音を聞くことができます。音源は当会が録音・CD化したものと同一のもの(部分)を編集して使用しています。
文化庁の「登録有形文化財 第12-0182号」登録認証プレート(旧犬吠埼灯台霧信号所霧笛舎)
■灯台の半円形付属舎
犬吠埼灯台旧記念額(初代)
灯台の正面入り口上に取り付けられていた鉄製の表札のようなものです。展示されているものは、さすがに文字がサビと風化で読み取れませんが、現在の記念額と記されている内容は同じです。
英語と日本語両方で「ILLUMINATED 15th NOVE 1874 明治7年甲戌十一月十五日 初点」と鋳込まれています。
ブラントン胸像
小島義三郎氏が制作した石膏に着色した胸像です。観音埼灯台には、同氏が制作したフランス人技師ヴェルニーの胸像があると聞いています。
ブラントンの胸像としては、横浜公園内のブロンズ像が有名です。
211年ブラントンの子孫A・パークス氏が来銚された折、これら2つの胸像に対面しています。
ガラスケース入り灯台用ランプ18種類、別のケースに8種類
灯台の光源として使用された各種電球です。18種類の内訳は、D-0~2、E-1~2、B-3~5、C-1、1S、2、A-1~7。
8種類の内訳は、メタルハライド400w、A-2、6,C-1~2、D-0~1、キセノンランプ500w。
辞令(灯台見習 菊池竹次郎 壬申2月)
菊池竹次郎氏は灯台の竣工時に犬吠埼に配属された保守職員で、首員ウイリアム・バワーズのもとで勤務しました。ただし辞令(写し)は、「明治17年3月19日 燈台局」発のものです。
犬吠埼灯台建設に使われたレンガ石
千葉県内の旧高岡村(現在成田市)で生産されたもの。資料展示室同様、旧第一吏員退息所の基礎に使用されたものと思われます。近年、刻印付のレンガも見つかっています。
タイムカプセル
小型の灯器の中に140周年を記念して地元高神小学校の児童達が未来へのメッセージを保存しました。
各種説明パネル
灯台のレンズ、灯台の光り方(灯質の図解)、洋式灯台を建設した御雇い外国人、灯台の種類、犬吠埼灯台の歩み、航路標識の歩み、同歴史。その他海上保安庁の船舶模型数点(市民M氏制作寄贈)
■構内(屋外)
旧尻屋崎灯台の霧鐘
日本最初の音波標識で明治10年(1877)11月20日に初鳴。この霧鐘は、スティブンソン社の設計をもとに埼玉県川口の鋳物工場が製作したもの。
重量約1.5トン、時計仕掛けの打鳴機による強烈な振動のため使い勝手が悪く尻屋崎灯台では約1年で取り外され、
その後北海道葛登支岬灯台に移設、昭和12年まで使用されました。
尻屋埼は犬吠より高さがあるので、こんな重い物をどんなふうに上まで揚げたのでしょうか。
日時計(屋外)
初期の灯台必須装備品のひとつ。設置位置も変わっていることが写真等で確認されています。2010年灯塔に付属するものとして国の登録文化財に登録されました。
記念碑類(還暦犬吠埼燈臺祭記念碑、犬吠埼灯台百年祭記念、犬吠埼灯台120年祭記念碑)
犬吠埼灯台の記念行事はこれまでも節目の年に開催されてきましたが、とくに還暦祭(1935年)は、市制施行間もない銚子市の勢いを繁栄して盛大に開催されたようです。
旧建造物の遺構群(屋外)
旧倉庫(現在休憩所として利用)
かつて灯台には職員や家族が住んでいました。何棟かあった家屋もいまは礎石を残すだけ。旧倉庫は外観が変わっていますが、灯塔以外では建設当初の図面にもある唯一の建物とされています。
銚子石を浅くU字形に削った側溝
犬吠埼近辺で切り出される柔らかな砂岩を加工して設置したもの。玄人受けする逸品。吏員退息所の柱の礎石・天水桶等の土台
旧事務所棟(無人化にともない現在は使用中止)
旧無線方位信号所棟・電源室(現在は使用中止、倉庫等に転用)
鉄塔(AIS自動船舶識別装置・レーダー波高計)
■構外(野外)
DGPSアンテナ
DGPSとは、中波帯の電波を使って米国が運用する通常のGPSの測位精度(公称100m)を10m以下に高めるために補正値を提供するシステムです。アンテナの高さは50.2m、有効範囲は半径約200kmもあって、船舶の安全のために役立っています。(なお、日本版GPSの整備が進展し、高精度の測位サービスが日本でも可能になったため、平成31年3月1日を以て廃止され、令和2年2月施設は完全撤去されました。)
白い郵便ポスト
白亜の灯台には白いポストをと、2012年に郵便事業会社銚子支店が他県で保管していた1960年製ポスト(赤色)を塗り直して灯台入り口の右側に設置したもの。このポストに投函された郵便物は銚子郵便局が回収、
犬吠埼灯台記念スタンプが押され宛先に配達されます。記念撮影の背景にも結構利用されています。