遅ればせながら、やっと「ブラントン来日150年」をお祝いすることができました。とはいっても、
特別なことをしたわけではありません。
28日の日曜日、会員3名で犬吠埼灯台の夜間公開のお手伝いをすることになっていましたので、それならばということで、午後から、横芝敬愛高校美術部が制作した「犬吠埼古今往来絵図」の展示、および県内在住のベテラン・バグパイパー・マイケル加藤さんを犬吠埼灯台にお招きし、ブラントン来日150年の記念に、バグパイプでブラントンの故郷スコットランドゆかりの名曲の数々を演奏していただくことにしたのです。
さすがにマイケルさんは大したもの。猛暑の中、キルトなど伝統衣装を身に着け、額に玉の汗を浮かべながら日本では珍しいバグパイプという難しい楽器を吹き、3回のステージを立派につとめて下さいました。とくに、灯塔の前や灯台門前の広場での演奏では、大勢の人がマイケルさんを取り囲み、マイケルさんの方も見学者の近くまで歩み寄って演奏し、シャッターチャンスを作るなどサービスも満点、大変喜ばれました。
この日、私たちがブラントンに寄せる思いを汲んだマイケルさんのバグパイプの音色は、犬吠埼では珍しく穏やかな潮風に乗り、150年の時空を超えて、きっとブラントンに届いたことでしょう。
最終演奏が終わる17時頃にもなれば、会員さんたちもボチボチ灯台に駆けつけ、横芝敬愛高校美術部の生徒さんが制作してくれた粘土のマスクをかけたブラントン役のN会員に、これまた、会員Yさんのお店で作っていただいた花束を贈呈し、「日本の灯台の父」にして「犬吠埼灯台の父」、お雇い外国人のシビル・エンジニア・ブラントンにささやかながら敬意と感謝の意を表しました。この後、銚子海上保安部の幹部の皆様も記念撮影に加わっていただき、おかげさまで、銚子犬吠埼あげてのブラントン記念行事となりました。
振り返れば、8月8日に計画していた特別チームの横浜遠征が台風で流れてしまい、しばらく意気消沈していたところでしたが、今回、同月内に行事をすることができ、思いがかなったという次第です。
<犬吠埼ブラントン会の主なブラントン関連活動>
1999年 本会の名称にブラントンの名をつける。
2000年7月 公開シンポジウム「犬吠埼灯台と R.H.ブラントン」開催
2001年4月24日 ロンドン郊外の墓地でブラントン没後100年祭を挙行
2009年11月 遺品『押し葉・押し花絵帳』の中にブラントン来銚の証拠を発見
2011年8月 ブラントンの子孫 A.パークス氏等を犬吠埼灯台に案内
2015年3月 文化庁助成事業『犬吠埼灯台関係内外資料集』を刊行
2018年8月 「灯台150周年」と並行して「ブラントン来日150年」を実施