灯台記念日の11月1日、宮城県の金華山灯台が国の登録有形文化財に登録され、その認証証伝達式が執り行われた。4日、これを記念して東北歴史博物館(多賀城市)で開催されたミニフォーラムに犬吠ひろしも報告者のひとりとして参加した。また、同館と石巻市内の旧観慶丸商店ビルの2会場では、「金華山 生誕から文化財登録までの歩み」をテーマに古写真等が展示され、灯台施設内にあった官舎前で元気に遊ぶオカッパ頭の女の子たちに参観者の眼が集まっていた。今回、私が石巻に行くことを楽しみにしていたのは、これら記念行事の中心となった第二管区海上保安本部W交通課長とT部長に銚子海上保安部勤務時代に公私にわたりたいへんお世話になったことや最近犬吠埼灯台の前史を調査する中で浮かび上がってきた銚子と石巻の関係の具体的な手がかりをつかめるかもしれないという期待感があった。
金華山灯台は、お雇い外国人ブラントンが建設した灯台のひとつであり、器材の規格や製造会社など犬吠埼灯台と共通するところも多い。
一昨年9月、犬吠ひろしはW課長に誘われて地元新聞記者の皆さんたちと金華山灯台を見学したことがある。その時点では地盤沈下した船着き場は既に修復されていたが、灯台に至る道は寸断されたまま。倒木や土砂崩れの痕が行く手をふさぎ、所々崖をよじ登りさながら登山をしているようだった。時々、こちらをじっと見つめている鹿や猿を見かけたことを覚えている。金華山は東日本大震災の震源地に最も近い位置にあったが、灯台は半円形付属舎の石壁の内外に大きな亀裂が入ってはいたものの、既に復旧して航路標識としての機能を正常に果たしていた。金華山灯台は、設置許可から竣工まで途中風雨による被害などもあって他の灯台に比べ時間がかかっている。
明治5年(1872)1月、工部省:太政官に対し金花山他6箇所に灯台設置を要望
明治5年(1872)5月16日~20日、灯台視察船テーボール号による現地調査
明治6年(1873)1月、日本政府の灯台建設顧問D.&T.スティブンソン(在イギリス。スコットランド・エディンバラ)で金華山灯台向け器材の手配に着手
明治7年(1874) 2月25日 着 工
明治9年(1876) 5月27日 竣 工
明治9年(1876)11月 1日 初点灯
初点灯以後141年の歴史の中で、同灯台は東日本大震災(2011)、宮城県沖地震(1964)を含む4度の大地震、太平洋戦争時のアメリカ潜水艦による砲撃官舎に迫る大山火事などで被災し、明治期の灯台の中でも最も苛烈な試練をくぐりぬけて現在に至っている。人間の一生にたとえれば、正に「七転八起」の人生といえる。
「金華山灯台は本土から隔離した島にあり、島内のアクセス面でもいまは容易に近づける場所ではない。」と地域で灯台を守ることの難しさを地元の方がつぶやいていた。現役の航路標識であり、かつ登録有形文化財でもある金華山灯台のこれからにしばらく注目していきたいと思う。
※絵葉書の写真は石造りの吏員退息所が存在することから戦前それもかなり古いものと推測される。