ピッカピカの巡視船かとりに乗って洋上から犬吠埼灯台を見た。 10月8日(日)、海上保安庁の巡視船PM 51「かとり」の体験乗船に参加した。銚子港を母港とする海保ご自慢の新鋭中型巡視船だ。昨年10月15日、前任船PL 125「かとり」が「しれとこ」型28隻のうち最後の1隻として36年間の業務を終えた。配属替えが一度もなかったことや後任船の船名が同じ「かとり」というのはとても珍しいとのこと。 当日は天候に恵まれ、海の青に純白の船体のコントラストもひときわ美しかった。海保初の女性活躍支援船のうたい文句どおり「かとり」には女性乗組員が4名乗船、船橋での航法支援や海上監視、機関室、抜錨。投錨の力仕事などの任務にキビキビと動いていた。「かとり」は、銚子外港を出て鹿島灘沿いに臨海工業地帯の煙突や風力発電施設を遠望するあたりでしばらく停船、時々揺れが相の手のように入る中で最新の装備の説明や洋上から見る景色に船内や船上の至る所で参観者の歓声が涌いた。船上から南南西の方角に犬吠埼灯台の姿を捉えた。
明治5年(1872)5月15日、灯台視察船テーボル号※が犬吠埼灯台の建設予定地調査のため銚子沖に来港、陸地で1泊、翌日金華山に向けて出航している。ブラウン船長のログ・ブック※には、「犬吠埼を南南西に見る、川の流れが激しいところに停船」と記されていた。 この位置の確認のため、ログ・ブックの翻刻と訳を携帯し、船のプロに確かめてみようと思っていたが、業務遂行の妨げになるのではないかと判断してやめた。 また、明治元年(1868)7月22日夜、最後の将軍徳川慶喜が水戸から陸路移動し、銚子の対岸波崎海岸(常陸原)から蒸気船で駿府に向かったという記録が残っている。いずれにしてもテーボール号が銚子港(利根川河口)にごく近い海上に停船、小型船で上陸したことは間違いなさそう。そうこうするうちに、海は次第にうねりが大きくなり、船体が左右に揺れはじめてきたところで「かとり」は停船ポイントからUターンして港に戻った。ちなみに同伴した妻は途中から船室に降り、ひたすら下船の時を待ったという。
※ A. R. BrownのLog Book については、英国グラスゴウ大学で写真撮影した資料を同船長に縁の明治丸が陸上展示されている東京海洋大学へ提供した。
※ S. S. Thabor:全長225フィート、全幅28.9フィート、総トン数809.9、純トン数482.8英トン
<参考>
◯ 旧PL 125「かとり」:「しれとこ」型(28隻)、全長78m、全幅9.6m、680トン 1980.1021就役-2016.10.21解役
◯ 新PM 51「かとり」:新型PM 1番船、全長72m、全幅10m、650トン、速力25ノット以上 2016年12.07就役、海保初の「女性活躍支援」船 (写真:海上保安友の会々員。犬吠埼ブラントン会々員 宮内與四郎氏撮影)
◯ 巡視船「かとり」の体験乗船や友の会の行事及び活動についてのお問い合わせは、海上保安友の会銚子事務局(TEL:0479-21-0118銚子海上保安部総務課内)へ。