■ショート・ヒストリー
銚子の犬吠埼灯台は、平成22年(2010)4月、国の有形文化財に登録されました。現役の灯台としては全国で3番目、建設後140数年を経た犬吠埼灯台は、優遇措置の適用やゆるやかな保護規制のもと、これからも船舶が安全に航行するための目標としてその役割を担い続けることになります。 日本で西洋式の灯台が建設されるようになったのは、幕末期に江戸幕府が西欧4ケ国と結んだ改税約書第11条の取り決めに基づくものです。どこに設置したらよいか4ケ国間で調整しましたが、米国から要望があった犬吠埼は残念ながら取り上げられませんでした。明治になってこれら条約灯台が次々に稼働するようになると、灯台は外国船のためだけでなく自国の船舶にも有用であると認識した新政府は、灯台の建設や保守に関わる外国人を破格の高給で雇い、大型フレネルレンズや回転機械で構成された高価な灯台システムをスコットランドから導入するなど、灯台整備を積極的に推進していきました。
明治5年9月に着工した犬吠埼灯台は、お雇い外国人R・Hブラントンをリーダーとする英国人及び日本人技師や職人、地元採用の土工や御用掛を仰せ付かった地元有力者たちの協働によって、明治7年11月15日に初点灯しました。工事中レンガの調達をめぐって内外の技師たちが国産品の適否について論争したとも伝えられていますが、結局良質の粘土を求めて利根川を遡り、新治県香取郡高岡村(旧下総町)で焼いたものが使用されました。このレンガを上がすぼまった円筒形に積み上げた灯塔は、外壁と内壁の間に中空部をつくり、8か所の放射線状の接合壁(バットレス)で両方の壁をつないだ二重壁構造になっています。ブラントンのこの独創的な構造を持つ灯台は日本に4基しかなく、その中で犬吠埼は最も古いことから建築史的な価値が非常に高いとされているのです。
また、犬吠埼灯台の初代レンズは、仏ソーター・レモニエ製第一等8面閃光レンズで、横浜に行幸された明治天皇が犬吠埼に送る前の試運転をご覧になるという栄誉に浴しています。その後、大正の関東大震災を無事に乗り越えたかと思えば、太平洋戦争の終戦間近に米軍機の攻撃により一部を損傷、戦後しばらくして現在の国産4面閃光レンズに交換され一旦お蔵入りになるも、愛知県犬山市の博物館明治村に見込まれ、開村以来長く展示されるという数奇な運命を辿りました。平成14年、犬吠埼灯台資料展示室の開館を機に里帰りが実現し、現在、旧霧笛舎の展示スペース中央にドンと鎮座した初代レンズを見ることができます。
この外にも灯台構内には齢100年を数えるオール鉄製の旧霧信号所の建物(通称霧笛舎)や建設当初の倉庫の一部が現存しており、平成26年(2014)には旧官営八幡製鉄所最初期の鋼板を使用した可能性が高い貴重な建造物という理由で登録文化財に登録されています。
そもそも大型灯台というのは、光や音や電波その他のいくつかを組み合わせて船舶に位置を知らせる複合施設になっています。換言すれば、美しい灯塔だけでなく、霧信号所や無線方位所、日時計、官舎などの有形の建造物やそれを維持管理する人がいて機能していたのです。そこで、皆様にもっともっと灯台に親しみ、楽しんでいただくために、これら灯台の諸施設を「セットで見る」ことをぜひお薦めしたいと思います。
■犬吠埼灯台の沿革
伝・中澤孝政画犬吠埼灯台絵図(市内高神町加瀬新右衛門家蔵)
1872年(明治5年)9月28日 | 犬吠埼灯台起工 |
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1874年(明治7年)3月18日 | 明治天皇・皇后横浜灯台寮の試験灯台にてフレネルレンズ(犬吠埼初代レンズ)を天覧 |
1874年(明治7年)11月15日 | 初点灯 煉瓦造(193,000枚使用)、円形、白色、地上から灯塔最上端までの高さ10丈4尺8寸(31.75m)、地上から灯火までの高さ9丈(27.27m)、平均水面からの高さ16丈8尺(50.9m)、白色、旋転灯、一等、曲射(ソーターレモニエ社、8面閃光レンズ)、ドーティー式4重芯火口220cp 1箇、閃白光毎30秒1閃、67,500cp 工費 建設費 22,212円923 機械費 8,799円54 合 計 31,012円463 総工費 44,835円63(建物一切を含む) |
1878年(明治11年)1月1日 | 気象観測開始、1日2回 その後1日8回実施したこともある(明治15年6月1日~明治20年5月31日) |
1888年(明治21年)9月17日 | 日時計交換(在来品撤去、新規取付) |
1907年(明治40年)10月1日 | 船舶通報事務取扱を開始 |
1910年(明治43年)4月1日 | 霧警号業務開始 毎30秒を隔てて5秒吹鳴、音達距離10海里 41年、42年の2ケ年継続事業、41年度は機械購入、42年度起工、43年3月6日竣工、明治42年11月16日起工,明治43年3月6日完工、工費24,440円986、建物を含む総工事費26,288円15 |
1923年(大正12年)5月27日 | 灯器の電化(光源を1000W、1,600cp電球に変更、光力増大) |
1929年(昭和4年)2月26日 | 灯器改良工事のため光力減少、仮灯点灯、第6等電灯、不動白光 |
1929年(昭和4年)3月25日 | 灯質変更、第1等、閃白光毎15秒1閃、光力増大900,000cp |
1932年(昭和7年)12月15日 | 無線方位信号所業務開始(着工昭和5年11月5日、完工昭和6年11月30日 |
1935年(昭和10年)6月22日 | 還暦灯台祭挙行 |
1945年(昭和20年)9月13日 | 不動灯(300W裸電球) |
1945年(昭和20年)11月10日 | 灯質、灯器(1,500W)変更、8面フレネルレンズを4面に改造、45秒を隔てて15秒に2閃白光 |
1946年(昭和21年)6月7日 | 昭和天皇ご臨台 |
1948年(昭和23年) | 船舶気象通報業務再開 |
1951年(昭和26年)4月26日 | 戦災復旧工事完了 (第1等4面単閃光フレネルレンズ、高さ3.0m、外帯はプリズム17本、中帯径1.075m、中帯プリズム9本、下帯プリズム10本、台座100mm、重さ3トン、工事費約520万円、海上保安庁灯台部直営田浦工場製)4,500,000cd(2kw電球)、回転水銀槽式、自動巻上装置) |
1955年(昭和30年)6月1日 | 船舶気象通報業務開始 |
1955年(昭和30年)7月15日 | 犬吠埼灯台80周年記念祭(3日間) |
1959年(昭和34年)10月15日 | 光力増大2,000,000cd |
1962年(昭和37年)3月28日 | 電動駆動式に改良(回転機械) |
1962年(昭和37年)9月1日 | レマーク・ビーコン設置 |
1963年(昭和38年)9月30日 | 地震(震度4)により水銀槽の1/3の水銀が溢れ一時回転不能となる |
1966年(昭和41年)1月20日 | 灯室床、分銅筒のコンクリート強化による改良 |
1966年(昭和41年)3月 | 踊り場修理、羽目板をプリント合板に張替 |
1969年(昭和44年)5月20日 | コンクリート壁一部脱落につき補修 |
1973年(昭和48年)2月12日 | 灯塔、鉄筋にて補強 |
1973年(昭和48年)2月26日 | 灯塔外部補修、内装補修、踊り場手すりステンレスに変更、ステンレス梯子、ステンレス扉2枚交換 |
1974年(昭和49年)8月6日 | 犬吠埼灯台100年記念祭 |
1982年(昭和57年)8月 | 老朽度調査 |
1987年(昭和62年)12月10日 | 灯塔大改修工事PC(プレスト・コンクリート)工法にて補強。灯塔の外径が200mm(外壁厚さ100mm×2)大きくなる |
1994年(平成6年)10月30日 | 犬吠埼灯台120周年記念祭 |
1998年(平成10年) | IALAハンブルグ会議で犬吠埼灯台が「世界の歴史的灯台100選」に選ばれる |
2002年(平成14年)3月20日 | 犬吠埼灯台資料展示館開館。初代レンズが愛知県犬山市の博物館明治村より里帰りする |
2008年(平成20年)3月31日 | 犬吠埼霧信号所廃止 |
2010年(平成22年)4月28日 | 犬吠埼灯台(日時計付)が国の登録有形文化財に登録される |
2010年(平成22年)5月9日 | 犬吠埼霧笛100年記念シンポジウム(主催犬吠埼ブラントン会) |
2013年(平成25年)3月 | 旧犬吠埼霧信号所霧笛舎の保存工事完了初代レンズを霧笛舎内に移転展示。灯台資料館には旧沖ノ島灯台1等レンズが可動展示される |
2014年(平成26年)11月15日 | 犬吠埼灯台140年記念式典 |
2014年(平成26年)12月19日 | 旧犬吠埼霧信号所霧笛舎が、国の登録有形文化財に登録される |